ルルルルズ コバヤシの業務日誌

東京のバンド「ルルルルズ」のギタリスト、コバヤシアツシのブログ。

『サザンオールスターズ1978-1985』を読みました

あまり書籍のレビューなどは書いたことありませんが、実験的に。

 

1978年から1985年までの「初期サザン」をリアルタイムで見てきたスージー鈴木氏が、その巨大な功績を正確に描き出そうという狙いで書かれた書籍です。

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はじめに断っておきますが、私は1992年生まれで今年25歳になります。当然この書籍に描かれているサザンをリアルタイムでは見ておりません。若い者が評論なんかするな、リアルタイムを知らないのに何が書ける。といった意見もあるかもしれません。

当然リアルタイムで見た、聴いた方々は、当時の文化的背景や社会的背景も承知の上、どのように消費(といのはあまりよい言い方ではないと思いますが)されていたのか、ということに関して、紛れもない事実を語ることができます。

「あの歌番組に出た時、次の日クラス中がその話で盛りあったんだよ」

「ボーカルがつけてた腕時計が大人気で、俺も買ったな」

などなど。

リアルタイムを知らない私たちは、録画されたビデオや音声、残された資料を元に想像することしかできません。ましてやテレビに出た翌日のクラスの話などといった、とてもローカルな話は調べようがないのも事実です。

つまり私たちが一生懸命当時のことを調査しても、調べ学習となんら変わりがなくなってしまい、周知の事実を記すことは無粋であるようにさえ感じられます。

しかし、リアルタイムを知らない人間が、対象となる音楽をどのように捉えているのかを記すことに私は価値があると考えています。いまこのタイミングで、過去の音楽を第三者的(横軸での繋がりがないという)目線で語ることに価値があるのだと考えています。

 

 

さて、この書籍は鈴木氏が見てきた初期サザンの巨大な功績を、一人のリスナーの目線から記している部分が大多数を占める。

初期サザンとされるアルバムは1978年から1985年までに発売された、『熱い胸さわぎ』から『KAMAKURA』までの8枚。本を読み進めるにあたり、レコードを引っ張りだして一枚目の『熱い胸さわぎ』から改めて聴き直した。なんとカッコいいのだろう。

 

洋楽フィーチャー感と徐々に洗練されていく楽曲や演奏。現在のサザンしか知らないと、想像もできないほどの洋楽リスペクトを感じる楽曲であることは著者の言う通りであった。特にバンド名に入れてしまうほど、サザンロックの影響はとても強い。桑田本人が弾いているスライドギターは、現在ほとんど見ることが出来ない。

また、当時のヒットチャートや他のアーティストとの比較、インタビューや歌番組でのやり取りなどについても、わりと詳細に記述されており、初期サザンを知る一冊としてはとても面白い。

 

しかし、この中で特に私が注目したのは比較分析の中での一文である。

音楽ジャーナリズム(というものがあるとすれば)において、はっぴいえんどが、あまりにも「奉られすぎている」のではないかと思う。(p81)

鈴木氏はことわりとして、はっぴいえんどが大好きである、という前書きを記している。もちろん私もはっぴいえんどは好きであるし、バンド自体の批判をするつもりはない。しかし、音楽評論におけるはっぴいえんど至上主義のようなものは、私も違和感を覚える。著者の主張に賛同する。

 

続いて鈴木氏は、

はっぴいえんど以前にも、ザ・テンプターズや、ジャックス、ザ。フォーク・クルセダーズなど、日本語ロックの融合にチャレンジしたと言えるバンドは多い。(p83)

と続けている。

はっぴいえんどの功績は日本語ロックを確立させたことであり、「日本語ロックの始祖」として今では伝説的なバンドとして知られる。

しかし、先に引用の通り、はっぴいえんど以前にも日本語ロックに挑戦しているバンドは多く存在しており、はっぴいえんどだけの力で日本語とロックの融合が成された、という論調はさすがに言い過ぎではないか、とも私は考えている。

 

鈴木氏は加えて、

キャロルほど功績が低く見積もられているバンドはない。(p165)

とも記している。そして、そのような評価の背景には「学歴」の差別があるのではないかと論じている。相当面白い視点であるのと同時に、私は妙に納得してしまった。

「大卒ロック」は、ロックなのに知的で裕福そうで、見てくれはぶさいく。「高卒ロック」は、貧しいヤンキーあがりで、チャラチャラしていてモテそうだ。(p167)

そんな分類があって〔中略〕顔色の悪い音楽評論家が「大卒ロック」を過度に支持するという構造があったと思う。(p167)

 仮にもこのような構造がもし存在していたとしたら、改めて日本語ロックの成立に関して論じられる必要があるのではないか。

 

この書籍はサザンオールスターズの初期の活動とその功績を記すために、同時期に台頭したミュージシャンを比較検討した結果、新たな課題が自然と湧いて出てきたのである。

リアルタイムを知らないがために、対象となる音楽から郷愁を感じることがなく、いわゆる「思いでフィルター」を持たないという意味ではバイアスのかかっていない私たち。

その世代が取り組むことにより、音楽評論における新たな論調が展開されるのかもしれない、という可能性を感じさせてくれる一冊であった。